どうも、ヒステリックBBAです。
もう30も目前というのに、生理前はイライライライライライライライラしちゃってどうも人(主にパートナー)に迷惑をかけがち。
いつまでたってもこんなんじゃイカン!
と、こんな自分に嫌気が差したので、今回の生理前に至ってはアドラー心理学を読むことでPMSを緩和させることにしました。いい感じにアラサーを拗らせてます。
何でアドラー心理学?
この本に出会うまで
まず、多分誰かのブログかなんかでオススメされたであろう『嫌われる勇気』がたまたま私のkindleに入ってたんですね。
これよ↓
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もういつ買ったのかなんて全然覚えてなくて、電車の中で「何か読みたいもんないかな〜」とかってkindleをごそごそいじくり回してたら見つけました。
今注文履歴探してみたらこれ私の誕生日に買ってるよ……相当キてんな。
私は一般的な日本人よりも人から嫌われることに頓着していないので、この「嫌われる勇気」というタイトルには正直食指がまったく動かないのですが、多分古賀史健さんの名前が入っていたので買ったと思われる。
大学の時に読んだ『20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書) 』は繰り返し読んだからなあ。名著です。
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さてさて、私の中でアドラーと言えば、大学のリーダーシップ論とかそういう感じの授業でたまに聞いたなぁという程度の知識でした。
だから何でこの本が私のkindleに入ってるのか本当に意味不明だったんですけど、新しい世界が開けたみたいで、今は読んでよかったと思います。今後の人生に影響を与えるであろう本になりました。結果良ければ全て良しですね。
アドラーとは
日本で心理学と言うとフロイトやユングが人口に膾炙している印象を受けますが、世界的には、アドラーは心理学の三代巨頭と呼ばれる人物です。ドンです。ドン小西ならぬドン アドラーです。は?
それはそうと、私は、哲学が「そもそもどうすれば人は幸せになれるのか」とか、人間が生きていく上での根本的な問いを考えたりする学問だと考えています。ことアドラーは、その問いに応える先駆的な考えを世に提示したことで、心理学というよりも哲学のような立ち位置でその名前を確立させたような印象があります。
この本を読むと、浅いところでは
なぜ自己啓発系の本でよくアドラーの名を聞くのか
納得します。
アドラー心理学的アプローチでは、「全ての問題が自分によって選択されている」と考えるので、問題の根本を、変えられない過去や他人のせいにしません。
だから、前向きにならざるを得ないし、啓発する側としても責任の所在を読者にできる(というかそれが当たり前だけど)なので、アドラー心理学と自己啓発本は親和性が高いのでしょう。
では敢えて自己啓発本ではなくアドラー心理学を学ぶ意味とは何でしょうか?
それは、「考えの根本的な原理を知る」ことだと私は考えます。
例えばある自己啓発本で、
あなたは旦那との関係がうまく行っていない。
仕事から早く帰ってきても家事の手伝いなんて何もしないし、脱ぎっぱなしの服を片付けても、掃除をしてもご飯を出しても、ありがとうとさえ言われない。
おまけにたまの休みは友人と遊びに出かけて、子どもの世話さえしてくれない。
そんな旦那にあなたはほとほとうんざりしていて、食い扶持さえあれば今日にでも離婚したいところだが、現実はそうではない。どうにもできない現実を嘆いていてもしょうがないし、何よりつまらない。だったら自分の気の持ちようで、この生活を前向きに考えるべきではないのか。
とか何とか書かれていたとするじゃないですか(適当)。
でもさでもさ、そりゃポジティブに考えられるなら考えたいよ????????って話なんですよ。そんなの頭でわかっとんねんボケ!って感じじゃないですか。
アドラー心理学は、ある事象についてどうこう、というみみっちい話でなく、人間理解の心理、また到達点となりうるところまで議論が重ねられているため、あらゆる事象に対して一貫した考え方ができる、と私は考えています。
数学で言えば、公式です。
知っている問題を解けるようになるのではなく、原理を知ることで他の問題も解けるようになるのがアドラー心理学です。(私の中で。笑)
アドラー心理学の考え方
アドラー心理学は、「原因論」ではなく「目的論」で物事をとらえます。
と言っても意味不明だと思うので説明すると、
「原因論」とは、Bという結果に対して、「それはAという原因があるから」という考え方です。人の感情などが何かしらの原因に基づくものだということです。
一方「目的論」とは、Bという結果に対して、「それはあなたがBという結果を望んだからだ」という考え方です。結果に対して周囲の人や過去は関係ない、ということです。
書籍『嫌われる勇気』の中で一番わかりやすかった例を出してみましょう。
これに対し、
「両親から受けた暴力のトラウマが原因で引きこもりになった」と考えるのが原因論です。
かたや、
「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」と考えるのが目的論です。私たちは、自分自身をその目的から規定していると考えるのです。
なるほど、そうすれば合点がいきます。
両親から受けた暴力のトラウマが原因で引きこもりになるなら、同じ環境下であって引きこもりにならなかった人への説明がつきません。
一方、「外に出たくないから不安という感情を作り出している」と考える場合、外に出ないことで親や友人の心配を集めるという真の目的が達成されます。
書籍では、なぜそれが目的足り得るのか?それを目的にするのにはどんな心理的背景があるのか?というところまで、哲人と青年の会話という形を通して分かりやすい事例を使いながら解説されています。
哲学書や心理学の本を読むというよりは、一人の青年の悩みを解決するまでのストーリーを追っていくような形で読むことができるので、私はスイスイ読み進められました。
青年の問題とそれに対するアドラー心理学による回答を、自分のケースに当てはめて考えられたので、まるで自分が誰かに(アドラーか)カウンセリングをしてもらっているような心持ちで、考えながら読むことのできる良書だと思います。
私の例で言うと、彼からの連絡になぜかイライラして「もう連絡してくんな」っていう心理状態から抜け出せなかったんですね(そして実際に言った)。連絡が面倒くさかった。
もちろん、こんなこと言う自分は心底嫌だったし、イライラもしたくなかったんです。良好な関係を続けられるならそれに越したことはないじゃないですか。
そこで、何で彼にイライラしちゃうのか?と考えた時に、どうやら私は自分の仕事の時間配分がうまく行っていないことを人のせいにして、彼との時間ではなくその時間を自分の時間に充てるのを正当化するためにイライラしてたんじゃなかろうかと思ったんですね。イライラの感情を自らこさえていた。
イライラすることで、「今忙しいよ〜!連絡してくんなよ〜!」というメッセージを、彼へ遠回しに送っていたということになります。最悪のマウントだ……。
私は、コミュニケーションが取れるのだから、こうした意味不明なアプローチではなく、自分で努力して時間を作って、不要のイライラを無くすべきだったんです。
だって彼との時間を割くにせよ、きちんと早起きしてタイムマネジメントしてれば問題なかったことですし、そもそも無駄にしている時間なんていっぱいあったはずだから。全部自分のせいにするのが嫌だからって、人のせいにすべきではないんです。
・・・という具合ですね。
ああもう全然説明できてる感じしません!例えがヘタクソ!へたっぴ!!
まあでもそもそも一冊の本を数千字とかそこらで説明するのが無理ってなもんですね。(遠い目)
まとめ
水道トラブルはクラシアン、心理のトラブルはアドラーへ!(雑)
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