厚揚げと大根の炒め煮

日が一番長い夏至の頃は大抵梅雨時で、したがって夏至のその当日に晴れていた記憶が生まれてこのかた一度もない。

 

とは言え人の記憶は曖昧なもので、たとえ記憶になくとも晴れていた可能性は存分にある訳だ、どれ調べてみよう……と、インターネットの大海に船を出した矢先、目指していたものとは別のお宝を発見し、それに満足したため、我が海賊団は早々に解散することとなった。

 

そのお宝とは、なぜ夏至は一年で一番日が長いのに一番暑くならないのか、という問いとその答えである。

なるほど、確かに火力が最大であってもフライパンの温度が最大であるとは限らない。火を止めた後の加熱まで考えなければ、意図に反して野菜がくたくたになったり、肉がパサパサになったりするのである。

 

と、言う訳で今日はフライパンで作る簡単なレシピを紹介する。 時短・簡単・酒に合う、と三拍子揃った、つまみにもおかずにも最適な炒め煮である。

 

用意するのは、厚揚げ・大根・鶏肉・生姜。

 

食材に関しては、野菜室のご機嫌次第で適当にまかなえばよろしい。

生姜以外の具材を一口大に切り、大根はひたひたに水を入れたドンブリにラップをして電子レンジで10分。

油をひいたフライパンで鶏肉を炒め、ついで厚揚げ・大根を加える。 この時、電子レンジで加熱したときの湯もおたま一杯くらい加える。

気分の味になるよう砂糖・醤油を加え、汁気がなくなるまで炒める。
仕上げに生姜をすり入れて完成だ。

 

我が家では醤油の代わりにだしつゆを使うのがならわしだが、この時ばかりは醤油を使うのが良い。 だしつゆだとかえってまずくなる、とは、母。

 

日曜の昼間から飲む酒の肴には小松菜とお揚げの胡麻和え。 小松菜を茹でて、揚げ・すりごまと和えるのだが、こちらにはだしつゆを合わせるのが良い。 味の濃いものは夜に食べたいものだ。

 

芋焼酎には生姜味が合うような気がする。

 

ああ、過ごしやすい夜の、風通しの良い縁側がこうも恋しい。
こんなものはこんな雨の日に食べるものではないのだ。 この国はどうしてこうもじっとりしているのだろうか。

黄金のペペロンチーノオイル

ペペロンチーノオイル無くして美味しいペペロンチーノは作れない。

というのは私の強迫観念だが、ペペロンチーノオイルさえあれば、ふとしたときに、何の準備もなく美味しいペペロンチーノを作ることができる。 言ってしまえば常備食だ。 今日はこれを紹介したい。

 

そもそもペペロンチーノとは、イタリア語の「peperoncino」。つまるところ、唐辛子である。

唐辛子と一口にいっても、いろいろな唐辛子がある。オーソドックスな唐辛子に、小ぶりでピリっとした辛さの島唐辛子、青臭さの残る青唐辛子、また、十年ほど前から人口に膾炙するようになったハバネロなどなど。

 

乾燥してあるものも使い勝手は良いのだが、唐辛子そのものの旨味、という点においてはやはり生の美味しさには劣る。

 

横浜に韓国の家庭料理を出す店があるのだが、そこでは各テーブルに、大きい青唐辛子がまるまる入ったしょうゆ漬が置いてある。 つまみを食べてはその青唐辛子の漬物をかじり、マッコリを一口。 辛さを和らがせる、酸味の効いたクリーミーなマッコリは、壺からたちまち姿を消す。

 

唐辛子も大振りなものだと辛味と旨味のバランスがよく、それだけでも十分、野菜としてのつまみになるものだ。

 

これは私の印象でしかないのだが、日本本州には唐辛子の文化があまり無い。スーパーの生鮮食売り場でも、唐辛子はせいぜい一種類置いてあるのが関の山だ。

 

私の一年間暮らしていたフィリピンのセブ島では、必ずと言ってもいい程、食事に島唐辛子のような小さな唐辛子が添えられた。 スーパーには唐辛子入りビネガーが安価で大量に売られていたものだ。

 

隣国の韓国にしても、ご存知の通り、料理には唐辛子がふんだんに使われる。 私と同居していた韓国人の女性は乾燥した唐辛子みじんを大きいビニール袋いっぱいに持っており、その見ているだけで口の周りも中も、尻の穴まで痛くなりそうな(失礼)唐辛子を何のためらいもなくさらさらと料理に入れていた。

辛さだけを楽しんでいるのかと思いきや、その辛さの中にはきちんと旨味があり、煮干しやチキンのスープとうまくタッグを組んでいる。

 

とは言え、一週間前におすそ分けとしてもらった三養の炒め麺(まじでやばいので購入する方は自己責任で)は涙が出るほど辛く、文字通り泣きながら食べた。

旨味はあるのだが、なかなかどうしてあそこまで行くと、なぜこのような想いまでして食べているのかと泣けてくる。 というより既に泣いている。

 

それはそうと、ペペロンチーノオイルである。
これ以上脱線しないためにも、さっそく作り方に取り掛かろう。

 

用意するのは、オリーブオイルと唐辛子。 これのみ。

 

スーパーで買ってきた生の唐辛子を、軽く拭いてごみを取る。 唐辛子に楊枝で穴を開けたら、それをオイルに突っ込んでいけば良い。

生の唐辛子は辛味が油に移りやすく、また風味も良い。 こうしたオイル漬けにするのだったら、島唐辛子のような小ぶりな唐辛子が辛味も強く、適している。

 

乾燥の唐辛子を使うなら、みじんタイプのものが良い。 この場合、使った唐辛子は漉してもいいし、入れたままでも良い。

 

これはオイルが真っ赤になるので透明の瓶がよく映えるのだが、聞くところによるとオリーブオイルは暗所で保存した方が良いらしい。 光に当たると光酸化してしまうというのだ。世に出ているオリーブオイル容器が色つきであるのも、そうした理由かららしい。

 

さてこのペペロンチーノオイル、早くて二日や三日で使い物になる。 日を置く程に辛くて美味しいペペロンチーノオイルになる。 辛みが飛ぶという説もある。

 

ガーリックとパセリで炒め和えたパスタに一振りするだけでガツンとした辛さのペペロンチーノになる。 また、ラタトゥイユやピザにも合う。

 

このペペロンチーノオイルの良いところは、タバスコのように料理の味をまるきり変えてしまわないところにある。

タバスコの入ったトマトソースは「タバスコトマトソース」になるし、タバスコの入ったミートソースは「ミートソースタバスコ風味」になる。料理名になり得る存在感だ。

うっかり人の作った料理にボカスカと入れようものなら、もとの料理をまずいと言っているようなものだ。

 

一方、ペペロンチーノオイルは訳が違う。 料理の味を損なうことなく、辛味を加えることができる。 また、経年によって移り変わる味を楽しむこともできる。 まるで人生のようではないか。

 

肉と冬瓜のスープ

外で飲むビールはなぜあれほどにも美味いのか。

その謎に迫るべく、外で飲むビールの効能や、それに伴う経済効果を研究をしている大学がある……かどうかは知らないが、これは私が今学生ならば是非とも研究したいテーマの一つである。

 

ビアフェスタにビアガーデン、お祭りの屋台や海の家。 世にはあまた多くの外飲み施設があるが、そのどれも、然るべき時期に飲めば大抵の出来事は素晴らしい思い出になる。

とは言え、家で飲むのも悪くないものだ。 窓を複数空け風通しを良くしたら、キンキンに冷えた缶ビールを空け、つまみをつつく。 胃が落ち着いたら、冬瓜のスープをすする。

 

庶民の幸せはこのようにして守られるのである。

 

さてこの冬瓜、冬とは名ばかりの夏野菜である。 そのさわやかな香りと使い勝手の良さで、冷汁やサラダにしてもいただける、夏の万能野菜だ。

 

冬瓜、豚肉か鶏肉、例によってだしつゆ(昆布)、酒などを用意しよう。 冬瓜はわたを取り、皮をむいて一口大に切り分けておく。

 

根菜類は水から煮込むのがならわしだが、この冬瓜も水から煮込む。 沸騰したら肉とだし、酒を加えて火が通ったら一旦火を消す。

これはスープもよく味わえるものだから、水はたっぷり入れて薄味にしておこう。

 

一度冷めると冬瓜が出汁を吸って、冷たくして食べてもすこぶる旨い。 豚を使うと脂の舌触りが悪くなってしまうため、冷たくして食べるなら鶏、温かくして食べるなら豚、というように使い分けるといいだろう。

 

話は冬瓜と逸れるが、夏の初め、田舎の祖母の家の縁側で飲んだ酒。 あれはうまかった。 ベランダでも、庭でもない、縁側。

蚊取り線香の匂いが入り混じる黒霧島の湯割りは、何とも形容しがたい季節のノスタルジーを感じさせた。 ロマンティックと言ってもいいかもしれない。

あの酒を飲むためだけに将来は縁側のある家に住みたいくらいだ。

いや、住むべきなのだ。

 

人はパンのみに生くるにはあらず。 酒のみに生くるのだ。

 

このところ外食が続いてしまい、何か胃に優しいものを……などと冬瓜のスープをすすりながら、その美味しさに感動し、結局はビールを空ける。

 

歴史は繰り返すし、人は学ばないのである。

 

肉豆腐

先日、久しぶりに実家へ帰った。 母の日ということで男性陣を家に残し、母と二人で映画を観、カオマンガイを食べ、銭湯で風呂に入り帰路に着いたは良いものの、待ち受けているのは晩飯の支度である。

 

簡単な料理の代名詞として人口に膾炙しているのはカレーや野菜炒めだが、私は是非ともそこにポトフと肉豆腐も加えたい。

 

やれ玉ねぎを飴色に炒めるなど、不要!

 

とにかく冷蔵庫に肉と豆腐があればそれで結構。 肉は大抵干からびたものが冷凍庫に入っているし、豆腐と納豆はなぜかいつも冷蔵庫の中程に鎮座しておられる。 納豆は使わないが。

切って、煮るだけ。 こんなに簡単で、なおかつ落ち着く飯が他にあるだろうか? また、これは初心者にも至極作りやすい料理である。 というのも、野菜炒めは何だかんだ美味しく作るのが難しいのだ。

 

檀一雄の『檀流クッキング』を読んでいると、中華を作る場面に度々遭遇する。 この本は料理エッセイの中でもかなり示唆に富むものだが、この本に出てくる炒めはとにかく、

  • にんにくと生姜、ネギをみじん切りにし
  • 油に香りを写し
  • 強火で一気に炒める

というのがお決まりのような気がする。 気がする、というのは、この本を誰かに貸したまま随分な歳月が経っており今私の手元にないということなのだが、真偽の如何を確かめたい方はとにかく読んでみることをすすめする。 その時間は無駄にはなるまい。

 

さて、とにかく野菜炒めは案外難しいのである。 その点、肉豆腐は煮詰めるだけ。 ズボラで料理も好かない輩にとっては豚キムチ炒めよりも、カレーよりもレギューラー入りする確率が高いであろう。

 

豆腐、だしつゆ(我が家ではにんべん)、豚肉、長ネギを用意する。

 

豚肉は今回豚バラを使ったが、何でもよい。 なんならひき肉でも牛肉でも良い。 ひき肉を使うなら、後から片栗粉でとろみでも何でもつければ事足りるのである。

 

フライパンに水と出汁を入れ温める。 沸騰したら具材を入れ、酒と砂糖を好みの分量入れる。 ご飯のおかずなら少ししょっぱく。 焼酎のアテなら薄味に。 肉とネギに火が通れば完成だ。

 

書いていて気がついたのだが、これは具材の足りないすき焼きだ。 ならば卵も合うに違いない。 次に作る時は最後に生卵を落として食べることとしよう。

 

すき焼きは好きなものを入れて食べるのだから、その日の気分に合わせていろいろ試して欲しい。 となると、私は今日、肉豆腐ではなくすき焼きの作り方を書いたということになるのだろうか。

ヨーグルトの広がり

考えることをやめた途端にその人間の成長は止まる。 失われた時間は元には戻らない。 ああ、あの時こうしていれば。 今さらどうにもならないこと。 そんな風に考える夜がある。

 

と、適当に書きなぐったところで何が言いたいのかと言うと、食材にヨーグルトを使えるようになれば食卓の表現は如何様にも広がるのではないかということだ。

あの舌に残るなめらかさと旨味、酸味。 あんなものが料理になって美味しくないはずはないのに、何でだって今まで彼の有名なヨーグルト卿の存在を無視していたのだろうか。

 

幼少期からデザート以外での御姿を拝見していなかったせいもあり、ヨーグルトを料理の一員として迎えることはゆめゆめ想像していなかった。 そう、つい最近まで。

 

最初に出会ったのはーそう、中学だか高校生の時分であったろうか。 あれはインド料理と称した反町のネパール料理屋だったような気がする。 家族で食事に来た際、たまには違うものを、ということでヨーグルトのサラダを注文したのだった。

 

そうして提供されたのは、ヨーグルトに塩・こしょうをして、赤と緑のパプリカみじんを混ぜ込んだだけの簡単なサラダだった。 私たち一家は大変美味しくないと思いながらも、そのヨーグルトのサラダを喉の奥に詰め込んでそのボウルを空にしたのだった。

 

そのためか、これはやはりヨーグルトは食事には合わないものなのだという強迫観念が一層色を濃くしただけの出来事として終着してしまった。 今思えばこれがいけなかったように思うのだが、同時にそれが不可抗力であったことも理解できる。

 

今となってはあのヨーグルトのサラダもカレーと相まって美味しくいただけ(るような気がす)るのだが。

 

思えばインドでは丹念に凝ったような料理をあまり口にしなかったように思う。学生の貧乏旅行なのだから当然と言えば当然かもしれない。

 

トマトのサラダを頼んだらトマトの輪切りだけ(もちろんドレッシングはおろか塩もない)が大きな皿いっぱいに盛られて運ばれてきたり、野菜サラダを頼んだらきゅうりの輪切りだけ以下略。

 

ただしスパイスの扱いに関して、インドは他国の追随を許さないほどの多様性を呈しており、家庭料理においてもその技術は如何なく発揮される。 家ごとに独特の配合でその複雑な味を自在に(?)操っているのだ。

何より感動したのはマトンで、カレーでも、串焼きでも、スパイスと羊の臭み、また暑さも手伝ってどんどん箸(スプーン)が進んだものだ。

 

話は逸れるが、「インド人はどこにいってもインド人」という持論がある。 例えば弊社にも様々の国籍の人間が在籍しているのだが、昼時に自国の料理をタッパーで持参してきているのは基本的にインド人だけだ。 それはそれは芳醇なスパイスの香りが向かいの席から漂ってくるのである。

 

タッパーの件に関しては弁当の文化があるというのも大きな要因の一つかもしれないが、ゲップを抑えない、また仕事中に鼻くそを深追いし過ぎるというのも他の民族には見られない類まれな特徴だ。

彼らには民族としての強さというか、あの無機質な会社の中にいてもなお、生命の息吹を感じてやまない。

 

さて、閑話休題。

 

本日は特定のレシピというより、食卓のおかずとしてヨーグルトを加える際の、私なりの気分について書いてみたいと思う。

 

一番勉強になるのは、うまいトルコ料理を実際に食べることなのだが、うまいトルコ料理屋は近所にない。 よって、仕方なく家でトルコ「風」を作ることになる。

 

とりたててトルコ料理のレシピを検索したりする必要はない。

 

例えば、玉ねぎと豚肉を炒めたものが大量に残っていたとする。 私はまずこれにトマトペーストないしはケチャップを加えることでマンネリを解消している。 カップルにおいて「場所を変える」ようなものだ。 赤ワインのお供に大変よろしい。

 

それでも余る。 そうしてその余ったものにもろもろのスパイスを加えてみると、随分なカレー風味になる。ビールのお供に大変よろしい。

 

そうしてカレー風味になるとまた、きのこなど、具材を足したくなってくる。具材を足すことで、これがまた余る運命となる。

 

こうして余った、スパイスたっぷり、カレー風味の何がしかの炒め物に極めつけとして加えられる最後の一手がヨーグルトなのである。 これはトルコ「風」よろしく、お供はウォッカでよろしい。

 

例えばロシア料理には大抵サワークリームが添えられているのだが、これはヨーグルトでも代用できないこともない。 ボルシチならずとも、ビーフシチュー、カレー、ハヤシライスにヨーグルトを最後にひとかけしても、味が面白くなる。

 

濃くなりすぎたディップに加えてのばしても良い。

肉のソースにしても良い。

サラダのドレッシングにしても良い。

案外味噌などと合わせてもいける。

 

肉や玉ねぎで作った水餃子(ペリメニ)のソースとしてヨーグルトソースをかけていただくのは幸せ以外の何者でもない。 私はこれを初めて食べた時、食べながらこの食事が終わってしまうことを心から悔やんだ。

頰が緩んで口から餃子が出るかと思った。 それくらいうまかった。

 

これを読んだ紳士・淑女は是非とも食卓にヨーグルトを加えることを恐れないで欲しい。 あんなに安価で手軽で、かといって余計な添加物が入っている訳でもないのに、かのような深い味をもたらす食材は他に類を見ないのだから。

そば粉のガレット

レシピに、マジョラム、八角、 サワークリーム……といった名前を見かけるとみるみる創作意欲がしぼんでいくのと同様に、そば粉もそうした現象を引き起こさせる食材の一つではないだろうか。

まず、そばを作る以外にそば粉を使うシーンなど、「そばがき」くらいしか思い浮かばない。
そのそばがきでさえも、最近は食卓に上っているところをとんと見ないし、あえて作ろうとしない限り、なかなか手が出せない料理なのではないだろうか。
(とは言え、個人的にはそばがき汁粉が何にも代え難い美味しさをはらんでいると思う。)

そうしたことを鑑みた上で、それでもやはり私が今日紹介したいと思っているのが、そば粉のガレットだ。ガレットとは、そば粉の入ったクレープ生地の上に、チーズやハム、マッシュルームなどの好きな具材を乗せたフランスの郷土料理(?)である。

私の友人の一人に、笹塚に住むフランス人のクリエイターがいる。
フランス人の関心ごとといえば、バカンス・本・食事ばかりだ。もちろんこれは偏見だ。
それでも、彼らが今上げたものについて日本人の大多数よりも関心の強い人が多いということは事実ではなかろうか。

まあそんなことは統計でも取らない限りわからないことだし、ましてや統計を取ったところでどうなるということでもない。何にせよ、私は食事がすきなフランス人に、料理をするかどうかを聞いてみたのだ。

「フランスで一人暮らしをしていた時は結構していたかな。物価が高いからね。何を作っていたかな。ガレットと、ハンバーガーと……サンドイッチとかかな」

そこで私はハンバーガーとサンドイッチを料理と呼ぶということに日本とフランスの文化の隔たりを大きく感じた訳だが(もちろんどちらも料理に違いはないのだが、料理の代表として挙げられるとなかなかどうして新鮮に感じるのが日本人ではないだろうか?)、そうか、フランス人男性が一人暮らしをした時に作る代表料理はガレットなのか、という学びを得た。少なくとも彼に関しては。

日本でいうとガレットは何にあたるだろう?
カレーライスや豚キムチ丼だろうか。ガレットという主食?の上におかずを乗せている体裁を取っていることを考えると、「◯◯丼」全てが当てはまると言えるかもしれない。

作り方は簡単。まず、メインのそば粉とハム、チーズ、卵を用意する。好みで、トマトやきのこを入れても良い。
手の平ひとつかみほどのそば粉に塩をふたつまみを振り入れ、水で溶く。クレープの生地くらいさらさらになればちょうど良いだろう。
弱火で油を薄くひいたフライパンに生地を流し入れ、薄く、大きく大きく、広げる。この時大事なのは火加減などではない。テフロン加工が落ちていないフライパンを使うことだ。テフロンでないフライパンを使うなら、油を引いて、熱々にしたフライパンを使えば良いのだが、初心者には慣れるまで扱いが難しい。

そこで初心者にはとにかくテフロン加工のフライパンを使ってもらいたいところなのだが、このテフロン、経年とともに剥がれてしまう。人間なら経年とともに良い部分も増えるというものだが、テフロンフライパンにおいてはそれは言えない。
経年劣化したフライパンでガレットを作ろうものなら、出来上がったものはガレットと似ても似つかないものになること請け合いである。(それも人生だ)(私は一体何を言っているんだ)

閑話休題。酒の肴ではなく食事を作りたい人はとにかくテフロンフライパンを使ってもらうこととして、生地が固まり始めたら裏返す。そこに卵、チーズ、ハムなどの食材を乗せ、蓋をして弱火で焼き、卵が好みの硬さになれば蓋を取り、ガレットをフライパンから皿にスライドさせる。

外側を4辺折り混み、四角い形に成形するのが特徴的な盛り付けらしい。
フランス人の彼に言わせれば、食べ方は個人の好きなように!とのことなので、盛り付けも個人の裁量に依るものとしたい。

たったこれだけ。なぜガレットがこんなに簡単なのかというと、ひとえに生で食えるものを事前に加熱(加工)することなく乗せられるからだろうと個人的には考えている。
生で食べれないきのこ類や、豚肉を使う場合は最初に炒めておいて、生地に乗せるのが良いだろう。

最初にも述べたように、そば粉は日本人にとってそばに使う以外に馴染みのないものであることは百も承知だ。それでも私がガレットを勧めるのは、ひとえに私がそば粉を愛しているからである。

そば粉は小麦粉などと同じように、とりあえずストックしておけるものだし、イオンなどにも案外こじんまりと売っている。小麦粉で作るより味に奥行きがあるし、何よりおしゃれで料理が楽しくなる。(インスタ映えもするかもしれない)

料理好きのみなさんだけでなく、料理がめんどくさいズボラ諸君にも楽な料理だと太鼓判を押しておすすめしたい料理だ。

 

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お家で作るとうまく広げられない傾向にある

 

ピーナッツバターのソース

ピーナッツバターほど万能なものはない。

と言うと、醤油にも味噌にも豆腐にも豆乳にもなる偉大な「大豆様」によってこの理論はいとも簡単にに崩される訳だが(豆腐に醤油をかけるなど言ってしまえば大豆の上に大豆が乗っているようなものだ)、ピーナッツバターもなかなかに見どころ−−いや、使いどころのあるやつである。

 

このように私がピーナッツバターに対して贔屓目であるのは、ただ今私がチキンのピーナッツバターソースをアテに舌鼓を打ち、チリ産の安い赤ワインで溜飲を下げるているからという理由だけではない。

 

たとえ話をしよう。

 

ごまはどうだろう。 練りごまだ。 練りごまをタネにして、一晩煮出したチキンスープで伸ばしたスープは圧巻である。 また、この練りゴマは市販のだし汁(我が家ではにんべんを使っている)などと薄めても、コクがあり香り高い肉やカルパッチョのソースになる。 いわんや野菜をや。

 

これがピーナッツバターであったらどうだろうか。

 

練りごまで作るさまざまのものは、大抵ピーナッツバターでも応用が効く。 お気づきの方もいるかもしれないが、東南アジア料理などではふんだんにピーナッツが使われている。 そんな訳で、我々も彼らに習い、普段の食事にこのピーナッツバターを取り入れることで、このマンネリ化した食卓にも春とともに新しい風を取り込むことができる。

 

正直に胸の内を話すと、ピーナッツバターは練りごまと比べて需要が高く、安くつくのだ。

 

とは言え、スープで伸ばせばコクが出て、だし汁で伸ばせばソースになり、酢で伸ばせばドレッシングにもなる、このピーナッツバターを放っておくという行為は、一生のうちで知らずに損をする項目の上位10に食い込む。

 

とはとても言えないが、油は旨味だ。

 

レモンバターのソースでも申し上げたように、味を抽象化させ、具体性に落とし込む。 それだけでも、今、現時点で諸君が持ち合わせている様々のレシピで無限の広がりが生まれるはずなのだ。

 

話を元に戻そう。

 

さて、ピーナッツバターのソースはその合わせるものによってかなりの組み合わせを試すことができる。

注意するのは、できるだけ混ぜ物の少ないピーナッツバターを使う。 それくらいだ。ピーナツバターのつぶつぶが入っていようがいなかろうが味に大差はない。 ただ一つ、トースト用に特化したピーナッツバターソフトスプレッドだけは避けていただきたい。

などと言いながら、当の本人は前の住人が置いていったスキッピーのピーナッツバターを使っているのだけど。

 

さてこのピーナッツバター。
スープなら、鶏ガラとナンプラーで合わせて、時にはココナツミルクを加えても面白い。

 

穀物酢と和風だしで伸ばせば和風カルパッチョに、白ワインビネガーで伸ばしてレッドペッパー(当然そんなものは家にない訳だが)を散らせば洋風のカルパッチョに良い塩梅だ。

 

サラダには、適当に家にある酢で伸ばせば事足りる。 あまり固いようなら、電子レンジで温めて混ぜ合わせると良い。

 

私が今日持て余しているチキンのピーナッツバターソースに関しては、酔っ払っているので何を入れたかが不確かなこと極まるのだが、まあ、美味しそうだと思うように材料を入れれば良いのだ。

 

チキンを煮るなり焼くなり蒸すなりチンするなりして火を通し、割いて保存しておけば後はその日の気分でソースを作って和えるだけ。

 

目には目を。 歯には歯を。 前菜には酢を。 メインにはコクを。 それぞれのバランスを考えて加えれば良い。

 

休みが開け、また労働の日々が始まった。 働かねば酒は旨くない。 というのは詭弁かもしれないが、今日もうまい酒を飲める幸せとピーナッツバターに感謝するのである。

ライスコロッケ

私たち人類は約四百万年もの間、狩猟を行って空腹と戦ってきたのであり、定住し、農耕が始まったのは今からたった一万年前のこと。 元来私たちの身体は脂質を燃焼するのに適してはいても、糖質を燃焼するのには適していない、云々。

 

 

近年の糖質制限ブームには目覚ましいものがある。

飛ぶ鳥を落とし、生き馬の目を抜く勢いだ。 猫も杓子も糖質制限。 砂糖、炭水化物は悪の根源! 全て駆逐されるに値するとでも言わんばかりだ。

 

とは言っても、巷のコンビニエンスストアからはパンもおにぎりもサンドイッチも、ブリトーもスナック菓子も消えてはいない。 マクドナルドは相変わらず幅を効かせているし、街のパン屋からは相変わらずいい匂いが漂っている。 むしろ、あの芳しい香りは平和の象徴とでも形容できるほど幸せに満ち溢れている。

 

そもそも私は生まれてたったの26年と少しなのに、農耕が始まってから今までの約1万年間を否定して良いものだろうかという話である。 その1万年間で人類は糖質燃焼向けの身体に進化してはいないのだろうか。

 

兎にも角にも、炭水化物は美味しいのである。 それに、炭水化物抜きの生活など、金がかかる。 健康的な食事にかかる費用はエンゲル係数の高さとほぼ比例しており、我々庶民は懐と相談しながら、できる範囲内で健康的(と言われている)活動にいそしむより他ないのだ。

 

今回はこの糖質制限健康思考の真逆を地で行くようなレシピを紹介する。 くれぐれも糖質制限中の者は以降を読まぬように。

 

ライスコロッケはその名の通り、ライスのコロッケである。 ジャガイモの代わりにライスを使う。 それだけだ。 このライスコロッケの何よりも良いところは、余り物でできてしまうところと、人に作ると想像以上に喜ばれるところだ。

 

最低限必要なのは、ライス、ケチャップ、小麦粉、卵、パン粉くらいのものである。 私はこれに、野菜室の余り野菜やクリームチーズを追加する。

 

ライスと炒め合わせる野菜はみじん切りにしておく。
フライパンにニンニクみじんとオリーブオイルを放り込み、いい香りがしてきたら具材やライスを炒める。 ひき肉など、脂の多い肉などを加える場合はその脂で炒めると良い。

 

ケチャップで味をつけ、味を見ながら塩胡椒で整えよう。 この時の味見は義務感からではなく、美味しそうだと思ってつまむこと。 この時点で美味しくないものが、コロッケにすることで美味しくなる訳が、ない。 是非とも美味しいケチャップライスを作ろう、という気概で臨んで欲しい。

 

出来上がったケチャップライスは、手で触れられるくらいになるまで冷ます。 もう一度念入りに手も洗っておこう。

 

ケチャップライスを丸く形成するのだが、この時私はクリームチーズを中に埋め込む。 クリームチーズでなくても、ブリーでもゴルゴンでもピザ用チーズでも何でも良い。 何ならチーズでなくても構わないが、チーズが全面的にウケが良い。 なぜかと言うと、酒のつまみにより適した味になるからだ。

 

全て形成し終えたら、小麦粉、卵、パン粉の順にまとわせて、油で揚げる。

中まで火を通す必要はないので、外側が綺麗なきつね色になったら取り出す。 熱々を一口。 チーズが床に垂れないように注意しよう。 上顎の火傷はビールで冷やせば良い。 冷えた赤ワインでも構わない。

 

熱々の一番美味しい頃合いは調理者がありがたくいただき、冷めないうちに誰かとシェアして食べる。 ケチャップをカレー粉にしても良いかもしれない。 外に持っていくなら、冷めても味が悪くならない具材を選ぶこと。

 

海辺でビール片手にかじるライスコロッケはまた格別なものである。
外で飲むのが美味しい季節になってきた。 ビアガーデンなど、外で飲める施設は山ほどあるが、たまには自分で作ったものを外に持ち出して食べるなどすると、大変気分が良い。

 

 

ツナ缶は便利だ。手軽にタンパク質を補給できる上に、保存も効く。大抵どんな食材にも合う。

亡命ロシア料理』という本があるのだが、その著者(2人いる)は、アメリカにはあまりにも多くのツナ缶が氾濫していて、人々はその正円柱状の物が海の中を泳いでいると信じている、といったようなことを書いていた。これがユダヤ系ジョークである。ちっともよくわからない。

 

さて、ツナ缶の便利なところは、和える、という行為ができるところにあるのではないかと思う。確かに、肉でもミンチを食材に和えることはできるのだが、どちらかというと和えるというより餡などを作って「まとわせる」という方が、料理界におけるより一般的なコンセンサスなのではないだろうか。

手軽さという意味でも、やはりお手軽に食卓に上りやすいのは圧倒的に前者だ。

 

さて、週末に小学校時代の友人が家へ遊びに来ることになった。友人が来るとは言っても、金がない私は食事もできるだけ安く済ませたい(なんてったって給料は前職の1/3)。

 

酒に金はかけても、家でつくる料理に関しては大した金をかけたくないものである。ましてや気心のしれた友人ならなおさらだ。
とは言え添加物たっぷりのできあいなんぞ食べたくないのだから、もう勝手にしてくれという感じである。勝手にします。

 

1カ月ごとに氷を除去しなければならない不良冷凍庫で肩身の狭い想いをしていたのは、豚ももの塊肉250g、以前作ったポトフで使い切らなかった豚バラ肉100g、豚こま100g……など豚のオンパレードだ。類は友を呼ぶのだろうか。どういうことだ。

 

普段は多くの肉を一気に調理し、朝用・弁当用・保存用など細かく分けておくのが我が家の常というものだが、もも肉250gはさておき他の肉はこんなにちょろちょろあるとなると、いちいち料理せねばならず、働く東京の女にとっては面倒なことこの上ない(神奈川だけど)。ええい、まとめてしまえ。

 

そんな訳で、この日の酒のアテは豚のリエットになった。リエットとは、肉を細かくペースト状にしたおフランスの肉料理である。おフランス。

バゲットやクラッカーに乗せて食べると赤ワインとすこぶる合い、うまい。あなたの手はリエットを取る動作とワインを飲む動作のために、仕事中よりもよっぽど絶えず働き続けることになるだろう。赤ワインとリエットのマリアージュである。は?

 

用意するのは、豚肉、バター、にんにく、玉ねぎ、白ワイン。

鍋にオイルをひき、弱火でにんにくの香りをつける。適当に細かく切った豚を中火で炒め、焼き色がついたら玉ねぎを投入。よくレシピなどでは玉ねぎが飴色になったら〜等と書いてあるが、東京の働く女にそのような時間はない。炒める前にラップをして、透明になる程度にレンジでチンしておくのだ。

 

鍋で全ての材料に火が通り、程よくなったら白ワインをどぼどぼ注ぐ。なければ赤ワインでもいい。とにかくそこにある酒を入れれば良いのだ。この際、タイムやローリエなどの香りの葉物があれば入れると臭みがまろやかになる。しかし大抵そのようなものはない。机上の空論ならぬ鍋底のローリエだ。は?

 

ひたひたの酒が詰まったら、この後は水をまた入れて煮込みに煮込むのが良いのだが、上述の通り、東京の働く女にそのような時間は、ない。はいフードプロセッサー直行!

 

肉とバター、塩、胡椒を入れ、フードプロセッサーを回す。フードプロセッサーがなければ芋を潰すやつなんかで潰してもいいし、それもなければフォークで潰せばいい。潰す場合は結構煮込んでいないとホロっと潰せないので、諦めて肉をもっと煮込むことを余儀なくされる。

 

潰しながら、塩の加減を確認する。確認しながら赤ワインを自分に入れる。とぽとぽ。

本当のところ、ここで飲む赤ワインが何よりも美味しい。調理者の特権だ!

 

赤ワインは人の血となり肉となるためにその色を呈しているのだから、たとえ食事の前だろうと、大いに飲んで結構。全ては赤ワインのその色が決めることであって、私たちに選択権があるのではない。何を言っているんだ私は。

世の中には様々の権利があるが、もし諸々の権利を放棄せねばならぬとしたら、最後に放棄する権利はこの料理中に酒を飲む権利かもしれない。何を言っているんだ私は。

 

リエットは味を良くし、器にぴったりと詰めて冷蔵庫で冷やせば完成だ。
翌日は豆や野菜と和えて出しても立派なおかずになる。そう、肉で和えることができるのである。また、冷凍しておけばやや味は落ちるものの、この味を何回でも楽しむことができる。

 

最初にも触れたが、焼きたてのバゲットに乗せて食べるのがまた、たまらない。

この料理において一番忘れてはいけないことといえば、赤ワインを買っておく。ただそれだけだ!

 

スパイスの効いたアボカドとチキンのトマトソース

私が純真無垢な高校生だった時、nonnoの雑誌広告にあった橋本紡の『九つの、物語』を読んだ。その中で、主人公の兄がスパイスたっぷりのトマトソースを作るシーンがあり、それを読んでから私の中での「スパゲティトマトソース」と言えばもっぱら、酸味のぐっと効いたシンプルなトマトソースと、スパイスをふんだんに入れた楽しいトマトソースの二択となった。

 

ツナ缶と並んで、戸棚にある缶詰の上位を占めるのがトマト缶である。偏見である。

 

KALDIではトマト缶はいつもセールと謳っているものだから、ワインを買うついでについと、手が伸びてしまう。そして荷物は水物が増え、ふうふう言いながら家路につくのだ。

 

トマト缶は偉大である。スーパーで見るトマトは1個150円なんかで売られているというのに、トマト缶ともなればあんなにたっぷり入って100円もしないときた。輸送料はどうなっているのだろうか。

輸送料と言えば、ボルヴィックはフランスの水だというのに、たまに日本の水よりも安い。だから私は、ボルヴィックというのはパッケージだけで、実際のところは東京水だということを信じて疑わない。

 

さて、何はともあれ、トマトソースである。

トマトソースのレパートリーには頭が上がらない。トマトソースに足を向けて寝られない。世界中の至るところ、全国津々浦々、様々の食材を使った様々なトマトソースが存在する。トマトソースパイセンとでも言おうか。

それだけトマトソースのレシピにはいろいろなものがあるのだから、作るレシピは選びたい放題だ。35億より多いかもしれない。このネタまだ大丈夫だろうか。

 

それでも私が作るのは、9割9分、本日紹介するこの「スパイスの効いたアボカドとチキンのトマトソース」なのだ。

 

アボカドとチキンのトマトソースというのはもともと、私が高校時代にアルバイトをしていたイタリアンレストランで作られていたものだ。その時は「アボカドとチキンのトマトソース わさび風味」というのが正式名称であった。気がする。

 

しかし、できたてあつあつのトマトソースではわさびの風味は大抵かき消されてしまう。メニュー名には堂々と鎮座しているのに、言われればわかる、という程度の存在感しか放つことのできなかったわさび。食材界(?)も厳しいのである。

 

用意するのは、トマト缶、にんにく、鶏肉、アボカド、パスタ、オリーブオイルと、好きなスパイスいくらでも。

 

チキンは両面を油で焼き、冷ましたものを手で割いて、焼いた時の鶏の油を絡ませておくと良い。そうすると包丁で切るよりもソースが絡みやすいし、何よりそれだけで酒の肴にもなる。サラダに乗せても美味しい。

 

焼くのが面倒であればラップにくるんで電子レンジで加熱してしまおう。
大抵の面倒ごとはすべてラップにくるんで電子レンジ、で解決する。あなたの会社の人間関係も。 は?

 

ニンニクはさっと薄切りにして、弱火でオリーブオイルに香りをうつす。 こうした場合には、芯をとったニンニクの塊を包丁の面で潰して香りをうつすのが定型らしいのだが、使ったニンニクを全て体内に入れたい貧乏根性の私は(でも塊のまま食べたくはない)、結局薄切りにしてしまう。

 

フライパンからいい香りがしてくるまでに、別の鍋でパスタを茹で始める。

最近は100円均一で購入したパスタの便利グッズもお気に入りだ。 時間もかからない上に、楽なことこの上ない。美味しく食べるというゴールさえ見失わなければ、どんなに邪道な調理をしたところで他人にはあずかり知らぬところだ。

 

フライパンに割いておいたチキンを投入し、もし手持ちのスパイスにクミンシードがあればここで炒め和えてしまう。 パウダーであれば最後で良い。 クミンシードはトマトソースを入れる前に炒まった方が香ばしくて美味しい。

 

トマト缶を開け、木べらで潰しながらソースにする。 味に深みが欲しい方は、ここでコンソメを入れてもいいだろう。 続いて諸々のスパイスを放り込み、続いて茹で上がったパスタと切ったアボカドを入れて炒める。
塩胡椒で味を整えて、完成だ。

 

ペペロンチーノオイル、粉チーズなど好きなものを組み合わせてふうふう食べる。
キリッと冷えた白ワインは昼間から飲むのに最高だし、これはありがたいことに、シャンパンも、赤ワインも合う。 ウイスキーもなかなか。 下戸には麦茶でもいい。

 

このチキンとアボカドのトマトソースは、私が高校生の時分も本当に良く売れていた。 私はこのパスタを作る時はいつも、作ってくれたチーフや憎々憎々しかった店長、バイト仲間のみんなのことを思い出して、この料理の最後のスパイスとするのである。