九份行くならここも寄りたい!瑞芳の美食廣場

どうもお世話になっております。
九份に2泊3日したところ、どうやら九份はいわゆる景色を堪能する街で、飯キチの私にはあまり肌が合わなかったことがよくわかりました。食事があまり美味しくないように思えたし、観光地価格で多くの商品が割高なのがどうも満足度の低下につながったようです。現場からは以上です。

九份からほど近い瑞芳に美味しいものがあるそうな

そんな訳で(現地の人なら美味しい場所を知っているだろう!)という予想のもと、宿のスタッフである台湾女性に「普段外食するならどこ?」と聞いたところ、どうやらここからバスで少し行ったところにある瑞芳(ルイファンと読む)美食廣場がおすすめとの情報をゲット。ふむふむ、Googleで見てみても確かに、美味しそうな料理の写真がたくさん。口コミもたくさんあります。

おすすめは胡椒餅とのこと。オッケー!

九份から瑞芳へ

フードコート

という訳で、九份から基隆に行くついでに美食廣場へも立ち寄ることに。出発したのは10時頃。788の基隆行きバスに乗り込み、10〜15分ほどで到着しました。うっかり本を読んでいて1駅分乗り過ごしましたが、九份で食べ逃したアイスを食べた後だったのでカロリー消費ついでにえっちらおっちら歩きました。

橋を渡り、左手に見える小学校を背にするように右折。そこから歩いて2〜3分ほどの場所にこのフードコートはあります。10時の時点ではまだ全てのお店が開店している訳ではなく、お目当のお店もスタッフの姿が見当たりません。どうやらお昼に全てのお店が開くようでした。

フードコート内を散策

フードコート
おじさんの腕がちょっと入っちゃった

今回のお目当は胡椒餅と豚の血、あと牛のスープみたいなもの。いずれもGoogleMapsで見つけたものです。

しかし豚の血以外全ての店が10時の時点で開店前…ということで建物内をぐるぐる周り、豚や牛の肝などをディスプレイしている入って左手の、あたたかそうなお店にイン。本当は入るつもりなかったのだけど、おばあちゃんがあまりに優しい笑顔で引き込むから…。

スクショしていた写真を見せ、豚の血を注文。ベトナム料理などでスープに入れて食べたことはあるけど、これがメインの皿はまだ食べたことがなかったので試してみたかったのです。20TWD。食べてみると…おおあっさり。アメリカのアジアンマーケットで購入したものよりも臭みがなくて、レバーよりもくせがない。あたたかくて朝に食べるとほっとする味だ。

豚の血。ショウガが添えてある。
豚の血

会計を済ませ、またぐるぐる。目当ての店はまだ開きません。しょんぼりしながらふと近くの店に目をやると、そこにはあのバーワン(肉丸)があるではないか!九份で食べたバーワンとの味比べをしたかったので注文。何と45TWDで2個つけてくれる。2個もいらないけど。1個分は残してお持ち帰りにしてもらいました。

サーブする時に、九份ではハサミで切ってくれたのですがこちらでは金属のヘラみたいなものを使って切ってくれました。油の切り方がすごい…笑

お味のほどは…?九份のものとそこまで差がある訳ではないけれど、こちらの方が五香かな?特徴的な香りが少なくて食べやすい。日本人にはこちらの方がウケるんじゃなかろうか?見た目も含め。

バーワン
ここのは模様つきですね

ちらとメニュー看板をみると日本語も書いてあります。「コメ粉包みミートボール」らしいです。芋でんぷんかと思っていたのですがコメだったのですね。勉強になりました。ここの辛味はガーリックと唐辛子が惜しげもなく入っていて、バーワンに入れて食べるとふむ、なかなか…。本当はそうやって食べるんじゃないんでしょうけど。

それにしてもお目当の店はまだ開かない。しびれをきらしてフードコートで記事を書き、時間をつぶすことに。人が多くなくて良かった…。

フードコート内

12時になり、どうやら胡椒餅のお店がオープンの兆しを見せ始めました。と、見せかけて全然開く兆しが見えません。

胡椒餅
閑散

とそこにやってきたのは後ろのお店の男性スタッフ。中国語でなにやら話しかけてきます。以下予測。

男性「何やってんの?君ブロガー?(ニコニコ)」

私「あっいや違うよ、その店開くの待ってるんだ」

男性「あーそこは今日開かないよ。月曜と火曜は定休日なんだ」

私「まじー!?じゃあ近くで胡椒餅食べれるところ知らない!?」

男性「うーん知らないなあごめんね」

私「ううん、ありがとう知れてよかった」

そんなわけで ションボリしながらフードコートを後にします。お目当の品3品中2つも定休日ってそんな不運あります?皆様是非とも月曜と火曜は避けておいでくださいまし。

瑞芳のまち歩き

という訳で不完全燃焼となった私はあたりをてくてく散策することに。地図をよく見てみるとこのあたりはちょっとした繁華街で、小さな屋台やらお店やらが道を賑わせています。

ふと見ると、フードコートを出てすぐの屋台に行列が。何だろうと見てみると、どうやらソーセージです。屋台にはメディア露出の実績が貼られ、どうやら有名店だそう。どれここは1つ、と注文します。お値段15TWD。やっす!

包む腸部分を見せてくれた

ソーセージの餡の正体は、魚肉と豚肉、キャベツ、にんじん、玉ねぎ、そして豚の腸です。渡す時に「spicy?」聞かれるので迷わず頷き辛さを追加。と言っても台湾料理は全然辛くないんですけどね。作っている様子を撮らせてもらいました。

お味は…うん!美味しい!魚が練ってあるだけあって、肉肉しさの中にも出汁が利いてる!肉オンリーのソーセージと比べるとパンチにはかけるかもしれないけれど、深みのあるソーセージという感じだ。個人的には外側の皮がパリッパリに揚げてあったらよかったのにな…!と思わないこともありませんでした。

同時に売っていた餅米のソーセージ(だったかな)は私の目の前で売り切れになっており、台湾での米人気を再実感します。そんなに好きかね?米。

ちなみに場所はこちらです。

阿霞龍鳳腿

https://goo.gl/maps/yDu7mKRdDbikh14p7

そしてさらにてくてく歩いて行くと、突き当たって瑞芳駅にたどり着きます。ここがバスターミナルとなっているようです。この後は基隆の夜市に行く予定だったのでまだまだ時間に余裕があります。ひとまず右手へ。
楽しい道をてくてく歩いていると、瑞芳派出所の前あたりに何やらまた美味しそうなものが…(どんだけ食うねん)。ふわふわしたパンのようです。黄金色に輝いている(ように見える)。吸い込まれるように注文。はい、美味しい。
パン
何でしょう、これ。子どもの頃を思い出すような…生地には胡麻が練りこんであり、かじりつくと食感はむっちり。小麦粉の生地に揚げ油の香りが付いていて、ほんのり香ばしくも、胡麻の芳醇な香りがお腹いっぱいだと思っていた私の食欲を再覚醒させます。なんじゃこら!うまいの天才か!
さてさて瑞芳派出所からぐるりと川沿い方面に引き返し、先ほどのソーセージ屋を通り過ぎて今度は逆方面を探索します。こちらは八百屋や肉屋、総菜屋のほかに、「よくこれで店が持ってんな」と思わずにはいられないなかなかシブい家電屋さんなどがあり歩いているだけでもどきどきわくわくです。
そろそろ基隆に向かおうと思い、瑞芳駅のバスターミナルへ向かいます。788のバスが来るまでどうやらあと10分はかかりそうです。ふと道路の向こう側を見るとまた何やらうまそうなものが!
葱油餅
見るからに美味しいんだって
名を葱油餅と言う…。こちら、瑞芳でなくとも台北の夜市などでいたるところに見かけます。しかしそんなことはこの時知るよしもありません。バスが来るまで食べて待つことに。お値段1個35TWD。
葱油餅
外はカリッ!中はジュワッ!
しかしこの選択が正解中の大正解!小麦粉だからお腹いっぱいの胃にはちときついかな〜と思いきや、中身は葱と豚、春雨の炒め物で、甘しょっぱいたれとごま油の香りが食欲を加速させる!何だこれ!全然食べれる〜!先ほどのソーセージでの物足りなさを解消するように外側のカリカリを堪能します。そういえば受け渡し時、こちらでも聞かれました。「Spicy?」ちなみに全然辛くないです。
そんなこんなで瑞芳の街歩きは終了です。いや〜食った食った。基隆では魚介を楽しもうと思います。

 

神保町 TAM TAMのホットケーキを食べたルポ

どうもこんにちは。のりっくです。

 

 

 

一時的な厭世から広告の仕事をわずか6カ月にして退職し、店舗に立つ仕事をするようになって2カ月が経ちました。

 

立ちっぱなしの職場は足がむくみ、仕事終わりには10歳くらい老けたような心持ちにはなりますが、不思議と気持ちの良い疲労感。
座り仕事特有の腰痛や肩甲骨周りの肩こりからも解放され、やはり人間は主な時間を座って生きる動物じゃないんだなーとほとほと実感した今日この頃です。

人の身体の構造は座ることを念頭に作られてないのね。。

 

一日の大半を座って生きる人々が2世代、3世代……と続いたら座ることに特化した体つきに進化したりするのだろうか。 異常に短足な人間とか。 私のことか。

 

 

 

何にせよ、ホットケーキです。

 

実は神保町小川町の交差点から神保町に向かう道すがら、いつも長い行列を作っている店があり、通るたびにどんだけ美味いんかと気になっていました。

ホットケーキに長蛇の列て。 ホットケーキに、長蛇の列。

 

その上このあたりのバーのマスターから仕入れた情報によると、このホットケーキ屋は平日も11時オープンだというのに10時半から既に並んでいるらしいです。

ディズニーランドかて。

 

私は行列に並ぶのが耐えられない病気なので、 大抵そういうお店に行くと、並んでいるその間に別のうまい店でも探して入り、そのまま当初の目的を忘れて別の2件目にしけこみます。

 

ですが、どうやら人間は並んだ方が脳の報酬系が刺激され、美味しく感じるのだそう。なるほど私は感情面で損していたのか。

 

 

「行列に並んだこと」と「うまくなかった」ことは対立関係ですが、行列に並んだという行動は変えられません。

 

なので、並んで得たものへの評価を
「期待とは少し違ったけど、それなりにおいしかったよね」
などと解釈することでその対立を無いものとするらしいです。

 

心理学ではこれを「認知的不協和」と呼ぶそう。

ただそんな小難しい論考を振りかざさなくたって、みんな自分を騙し騙し生きてることは容易に想像つきますよね、、、

 

 

はい、何にせよ、ホットケーキです。

 

 

行列に並ぶことが心理的に食べ物の味を良くする可能性があることは分かっておりますが、その上でやはり並びたいかと言われれば答えはノー!

 

 

 

平日の昼間。

ちょうどこのホットケーキ屋から徒歩5分のところに友人宅があり、平日に休みが取れる私は完全に勝ち組。

開店の11時ピッタリに店に着きましたが、店の方も答えはノーでした。

 

 

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平日なんぞに休日を取る生活をしていると、世の中が盆なのか正月なのか分からなくなってくるものなんですね。

退却退却〜!

 

 

気を取り直し、次の週にも全く同じ時間に向かいました。

 

 

 

店に着くとすでに10人くらいが並んでおり、辟易しながら列の後ろに並びました。
何せ、こちらは先週から待っているのだから脳の報酬系が刺激されている(はず)。

 

 

やれどれくらい待たされるのだろうかと思ったら、どうやら開店が遅れていたらしくすぐに扉が開けられ、問題なく中へ通されました。

 

ここの目玉はホットケーキとフレンチトースト。

どちらも石窯で調理できるからでしょうか。

石窯焼カレーやシチューなどもありました。

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先に通されてホットケーキを注文し、早10分。
隣に老夫婦が着席したのですが、彼らが注文後、どうやら石窯がいっぱいなのだとかで、1時間待つであろう旨を店員が老夫婦に告げていました。

 

 

老夫婦、水を飲み干して退店。

 

 

その後、同じ席に祖母、母、子どもの女3世代が着席。 シチューやホットケーキを注文後、20分経過で子どもがしびれを切らし始めました。

 

 

それらを見ていた私は、
「おお、私は済んでのところで1時間も待たずに済むのだろうか。
せいぜい30分くらいかな」

 

と思っていたのですが、結局ホットケーキが来たのは12時ピッタリ。

店員よ、なぜ私には1時間待つ旨を言わぬ。

急ぎでもなし、一人で本を読んでるだけだったから別にいいんだけどね。

 

 

 

肝心のホットケーキは石窯よろしく、外はカリカリ中はふわふわのホットケーキでした。

 

皿の端にはホイップクリームがたっぷり、ミントが添えられ、ミルク入れにはメープルシロップがこれまたたんまり注がれています。

 

トップには有塩バターがひとかけ。

 

厚さ5,6センチ、直径25センチはありそうなスポンジは、クリスマスの少人数用ホールケーキを思わせるボリュームで、今どきの糖質制限ブームに風穴を開ける勢い。

 

食べきる最後まで何かしらの付け合わせがあるのが良いですね。

メープルシロップはたっぷり使っても余るほど。

 

ホットの紅茶はポットでサーブされるのも。

 

アールグレイがあるのも大変良いです(ミルクが添えられるともっと良い)。

 

 

Noritakeのティーカップとソーサーは素敵でしたが、ポットはプラスチックであるところに中途半端な庶民らしさが垣間見れていやー渋いな。

 

 

 

注文してから1時間。 確かに腹が減っているとしびれを切らしそうなものですが、ここは食事と言うよりお茶をするところ。

 

本屋街であるこの神保町で、小腹が空いた時に、ゆっくり本を読み、ちょっとデザート。
そういう時間の使い方としてこの店はすごくいいなと思いました。

 

 

私たちは料理が早くサーブされることに慣れ過ぎていますね。
ちょっと落ち着きましょう。

 

Tam Tam
1 Chome-9 Kanda Jinbōchō, Chiyoda-ku, Tōkyō-to 101-0051
03-3295-4787

goo.gl

 

 

厚揚げと大根の炒め煮

日が一番長い夏至の頃は大抵梅雨時で、したがって夏至のその当日に晴れていた記憶が生まれてこのかた一度もない。

 

とは言え人の記憶は曖昧なもので、たとえ記憶になくとも晴れていた可能性は存分にある訳だ、どれ調べてみよう……と、インターネットの大海に船を出した矢先、目指していたものとは別のお宝を発見し、それに満足したため、我が海賊団は早々に解散することとなった。

 

そのお宝とは、なぜ夏至は一年で一番日が長いのに一番暑くならないのか、という問いとその答えである。

なるほど、確かに火力が最大であってもフライパンの温度が最大であるとは限らない。火を止めた後の加熱まで考えなければ、意図に反して野菜がくたくたになったり、肉がパサパサになったりするのである。

 

と、言う訳で今日はフライパンで作る簡単なレシピを紹介する。 時短・簡単・酒に合う、と三拍子揃った、つまみにもおかずにも最適な炒め煮である。

 

用意するのは、厚揚げ・大根・鶏肉・生姜。

 

食材に関しては、野菜室のご機嫌次第で適当にまかなえばよろしい。

生姜以外の具材を一口大に切り、大根はひたひたに水を入れたドンブリにラップをして電子レンジで10分。

油をひいたフライパンで鶏肉を炒め、ついで厚揚げ・大根を加える。 この時、電子レンジで加熱したときの湯もおたま一杯くらい加える。

気分の味になるよう砂糖・醤油を加え、汁気がなくなるまで炒める。
仕上げに生姜をすり入れて完成だ。

 

我が家では醤油の代わりにだしつゆを使うのがならわしだが、この時ばかりは醤油を使うのが良い。 だしつゆだとかえってまずくなる、とは、母。

 

日曜の昼間から飲む酒の肴には小松菜とお揚げの胡麻和え。 小松菜を茹でて、揚げ・すりごまと和えるのだが、こちらにはだしつゆを合わせるのが良い。 味の濃いものは夜に食べたいものだ。

 

芋焼酎には生姜味が合うような気がする。

 

ああ、過ごしやすい夜の、風通しの良い縁側がこうも恋しい。
こんなものはこんな雨の日に食べるものではないのだ。 この国はどうしてこうもじっとりしているのだろうか。

黄金のペペロンチーノオイル

ペペロンチーノオイル無くして美味しいペペロンチーノは作れない。

というのは私の強迫観念だが、ペペロンチーノオイルさえあれば、ふとしたときに、何の準備もなく美味しいペペロンチーノを作ることができる。 言ってしまえば常備食だ。 今日はこれを紹介したい。

 

そもそもペペロンチーノとは、イタリア語の「peperoncino」。つまるところ、唐辛子である。

唐辛子と一口にいっても、いろいろな唐辛子がある。オーソドックスな唐辛子に、小ぶりでピリっとした辛さの島唐辛子、青臭さの残る青唐辛子、また、十年ほど前から人口に膾炙するようになったハバネロなどなど。

 

乾燥してあるものも使い勝手は良いのだが、唐辛子そのものの旨味、という点においてはやはり生の美味しさには劣る。

 

横浜に韓国の家庭料理を出す店があるのだが、そこでは各テーブルに、大きい青唐辛子がまるまる入ったしょうゆ漬が置いてある。 つまみを食べてはその青唐辛子の漬物をかじり、マッコリを一口。 辛さを和らがせる、酸味の効いたクリーミーなマッコリは、壺からたちまち姿を消す。

 

唐辛子も大振りなものだと辛味と旨味のバランスがよく、それだけでも十分、野菜としてのつまみになるものだ。

 

これは私の印象でしかないのだが、日本本州には唐辛子の文化があまり無い。スーパーの生鮮食売り場でも、唐辛子はせいぜい一種類置いてあるのが関の山だ。

 

私の一年間暮らしていたフィリピンのセブ島では、必ずと言ってもいい程、食事に島唐辛子のような小さな唐辛子が添えられた。 スーパーには唐辛子入りビネガーが安価で大量に売られていたものだ。

 

隣国の韓国にしても、ご存知の通り、料理には唐辛子がふんだんに使われる。 私と同居していた韓国人の女性は乾燥した唐辛子みじんを大きいビニール袋いっぱいに持っており、その見ているだけで口の周りも中も、尻の穴まで痛くなりそうな(失礼)唐辛子を何のためらいもなくさらさらと料理に入れていた。

辛さだけを楽しんでいるのかと思いきや、その辛さの中にはきちんと旨味があり、煮干しやチキンのスープとうまくタッグを組んでいる。

 

とは言え、一週間前におすそ分けとしてもらった三養の炒め麺(まじでやばいので購入する方は自己責任で)は涙が出るほど辛く、文字通り泣きながら食べた。

旨味はあるのだが、なかなかどうしてあそこまで行くと、なぜこのような想いまでして食べているのかと泣けてくる。 というより既に泣いている。

 

それはそうと、ペペロンチーノオイルである。
これ以上脱線しないためにも、さっそく作り方に取り掛かろう。

 

用意するのは、オリーブオイルと唐辛子。 これのみ。

 

スーパーで買ってきた生の唐辛子を、軽く拭いてごみを取る。 唐辛子に楊枝で穴を開けたら、それをオイルに突っ込んでいけば良い。

生の唐辛子は辛味が油に移りやすく、また風味も良い。 こうしたオイル漬けにするのだったら、島唐辛子のような小ぶりな唐辛子が辛味も強く、適している。

 

乾燥の唐辛子を使うなら、みじんタイプのものが良い。 この場合、使った唐辛子は漉してもいいし、入れたままでも良い。

 

これはオイルが真っ赤になるので透明の瓶がよく映えるのだが、聞くところによるとオリーブオイルは暗所で保存した方が良いらしい。 光に当たると光酸化してしまうというのだ。世に出ているオリーブオイル容器が色つきであるのも、そうした理由かららしい。

 

さてこのペペロンチーノオイル、早くて二日や三日で使い物になる。 日を置く程に辛くて美味しいペペロンチーノオイルになる。 辛みが飛ぶという説もある。

 

ガーリックとパセリで炒め和えたパスタに一振りするだけでガツンとした辛さのペペロンチーノになる。 また、ラタトゥイユやピザにも合う。

 

このペペロンチーノオイルの良いところは、タバスコのように料理の味をまるきり変えてしまわないところにある。

タバスコの入ったトマトソースは「タバスコトマトソース」になるし、タバスコの入ったミートソースは「ミートソースタバスコ風味」になる。料理名になり得る存在感だ。

うっかり人の作った料理にボカスカと入れようものなら、もとの料理をまずいと言っているようなものだ。

 

一方、ペペロンチーノオイルは訳が違う。 料理の味を損なうことなく、辛味を加えることができる。 また、経年によって移り変わる味を楽しむこともできる。 まるで人生のようではないか。

 

肉と冬瓜のスープ

外で飲むビールはなぜあれほどにも美味いのか。

その謎に迫るべく、外で飲むビールの効能や、それに伴う経済効果を研究をしている大学がある……かどうかは知らないが、これは私が今学生ならば是非とも研究したいテーマの一つである。

 

ビアフェスタにビアガーデン、お祭りの屋台や海の家。 世にはあまた多くの外飲み施設があるが、そのどれも、然るべき時期に飲めば大抵の出来事は素晴らしい思い出になる。

とは言え、家で飲むのも悪くないものだ。 窓を複数空け風通しを良くしたら、キンキンに冷えた缶ビールを空け、つまみをつつく。 胃が落ち着いたら、冬瓜のスープをすする。

 

庶民の幸せはこのようにして守られるのである。

 

さてこの冬瓜、冬とは名ばかりの夏野菜である。 そのさわやかな香りと使い勝手の良さで、冷汁やサラダにしてもいただける、夏の万能野菜だ。

 

冬瓜、豚肉か鶏肉、例によってだしつゆ(昆布)、酒などを用意しよう。 冬瓜はわたを取り、皮をむいて一口大に切り分けておく。

 

根菜類は水から煮込むのがならわしだが、この冬瓜も水から煮込む。 沸騰したら肉とだし、酒を加えて火が通ったら一旦火を消す。

これはスープもよく味わえるものだから、水はたっぷり入れて薄味にしておこう。

 

一度冷めると冬瓜が出汁を吸って、冷たくして食べてもすこぶる旨い。 豚を使うと脂の舌触りが悪くなってしまうため、冷たくして食べるなら鶏、温かくして食べるなら豚、というように使い分けるといいだろう。

 

話は冬瓜と逸れるが、夏の初め、田舎の祖母の家の縁側で飲んだ酒。 あれはうまかった。 ベランダでも、庭でもない、縁側。

蚊取り線香の匂いが入り混じる黒霧島の湯割りは、何とも形容しがたい季節のノスタルジーを感じさせた。 ロマンティックと言ってもいいかもしれない。

あの酒を飲むためだけに将来は縁側のある家に住みたいくらいだ。

いや、住むべきなのだ。

 

人はパンのみに生くるにはあらず。 酒のみに生くるのだ。

 

このところ外食が続いてしまい、何か胃に優しいものを……などと冬瓜のスープをすすりながら、その美味しさに感動し、結局はビールを空ける。

 

歴史は繰り返すし、人は学ばないのである。

 

肉豆腐

先日、久しぶりに実家へ帰った。 母の日ということで男性陣を家に残し、母と二人で映画を観、カオマンガイを食べ、銭湯で風呂に入り帰路に着いたは良いものの、待ち受けているのは晩飯の支度である。

 

簡単な料理の代名詞として人口に膾炙しているのはカレーや野菜炒めだが、私は是非ともそこにポトフと肉豆腐も加えたい。

 

やれ玉ねぎを飴色に炒めるなど、不要!

 

とにかく冷蔵庫に肉と豆腐があればそれで結構。 肉は大抵干からびたものが冷凍庫に入っているし、豆腐と納豆はなぜかいつも冷蔵庫の中程に鎮座しておられる。 納豆は使わないが。

切って、煮るだけ。 こんなに簡単で、なおかつ落ち着く飯が他にあるだろうか? また、これは初心者にも至極作りやすい料理である。 というのも、野菜炒めは何だかんだ美味しく作るのが難しいのだ。

 

檀一雄の『檀流クッキング』を読んでいると、中華を作る場面に度々遭遇する。 この本は料理エッセイの中でもかなり示唆に富むものだが、この本に出てくる炒めはとにかく、

  • にんにくと生姜、ネギをみじん切りにし
  • 油に香りを写し
  • 強火で一気に炒める

というのがお決まりのような気がする。 気がする、というのは、この本を誰かに貸したまま随分な歳月が経っており今私の手元にないということなのだが、真偽の如何を確かめたい方はとにかく読んでみることをすすめする。 その時間は無駄にはなるまい。

 

さて、とにかく野菜炒めは案外難しいのである。 その点、肉豆腐は煮詰めるだけ。 ズボラで料理も好かない輩にとっては豚キムチ炒めよりも、カレーよりもレギューラー入りする確率が高いであろう。

 

豆腐、だしつゆ(我が家ではにんべん)、豚肉、長ネギを用意する。

 

豚肉は今回豚バラを使ったが、何でもよい。 なんならひき肉でも牛肉でも良い。 ひき肉を使うなら、後から片栗粉でとろみでも何でもつければ事足りるのである。

 

フライパンに水と出汁を入れ温める。 沸騰したら具材を入れ、酒と砂糖を好みの分量入れる。 ご飯のおかずなら少ししょっぱく。 焼酎のアテなら薄味に。 肉とネギに火が通れば完成だ。

 

書いていて気がついたのだが、これは具材の足りないすき焼きだ。 ならば卵も合うに違いない。 次に作る時は最後に生卵を落として食べることとしよう。

 

すき焼きは好きなものを入れて食べるのだから、その日の気分に合わせていろいろ試して欲しい。 となると、私は今日、肉豆腐ではなくすき焼きの作り方を書いたということになるのだろうか。

ヨーグルトの広がり

考えることをやめた途端にその人間の成長は止まる。 失われた時間は元には戻らない。 ああ、あの時こうしていれば。 今さらどうにもならないこと。 そんな風に考える夜がある。

 

と、適当に書きなぐったところで何が言いたいのかと言うと、食材にヨーグルトを使えるようになれば食卓の表現は如何様にも広がるのではないかということだ。

あの舌に残るなめらかさと旨味、酸味。 あんなものが料理になって美味しくないはずはないのに、何でだって今まで彼の有名なヨーグルト卿の存在を無視していたのだろうか。

 

幼少期からデザート以外での御姿を拝見していなかったせいもあり、ヨーグルトを料理の一員として迎えることはゆめゆめ想像していなかった。 そう、つい最近まで。

 

最初に出会ったのはーそう、中学だか高校生の時分であったろうか。 あれはインド料理と称した反町のネパール料理屋だったような気がする。 家族で食事に来た際、たまには違うものを、ということでヨーグルトのサラダを注文したのだった。

 

そうして提供されたのは、ヨーグルトに塩・こしょうをして、赤と緑のパプリカみじんを混ぜ込んだだけの簡単なサラダだった。 私たち一家は大変美味しくないと思いながらも、そのヨーグルトのサラダを喉の奥に詰め込んでそのボウルを空にしたのだった。

 

そのためか、これはやはりヨーグルトは食事には合わないものなのだという強迫観念が一層色を濃くしただけの出来事として終着してしまった。 今思えばこれがいけなかったように思うのだが、同時にそれが不可抗力であったことも理解できる。

 

今となってはあのヨーグルトのサラダもカレーと相まって美味しくいただけ(るような気がす)るのだが。

 

思えばインドでは丹念に凝ったような料理をあまり口にしなかったように思う。学生の貧乏旅行なのだから当然と言えば当然かもしれない。

 

トマトのサラダを頼んだらトマトの輪切りだけ(もちろんドレッシングはおろか塩もない)が大きな皿いっぱいに盛られて運ばれてきたり、野菜サラダを頼んだらきゅうりの輪切りだけ以下略。

 

ただしスパイスの扱いに関して、インドは他国の追随を許さないほどの多様性を呈しており、家庭料理においてもその技術は如何なく発揮される。 家ごとに独特の配合でその複雑な味を自在に(?)操っているのだ。

何より感動したのはマトンで、カレーでも、串焼きでも、スパイスと羊の臭み、また暑さも手伝ってどんどん箸(スプーン)が進んだものだ。

 

話は逸れるが、「インド人はどこにいってもインド人」という持論がある。 例えば弊社にも様々の国籍の人間が在籍しているのだが、昼時に自国の料理をタッパーで持参してきているのは基本的にインド人だけだ。 それはそれは芳醇なスパイスの香りが向かいの席から漂ってくるのである。

 

タッパーの件に関しては弁当の文化があるというのも大きな要因の一つかもしれないが、ゲップを抑えない、また仕事中に鼻くそを深追いし過ぎるというのも他の民族には見られない類まれな特徴だ。

彼らには民族としての強さというか、あの無機質な会社の中にいてもなお、生命の息吹を感じてやまない。

 

さて、閑話休題。

 

本日は特定のレシピというより、食卓のおかずとしてヨーグルトを加える際の、私なりの気分について書いてみたいと思う。

 

一番勉強になるのは、うまいトルコ料理を実際に食べることなのだが、うまいトルコ料理屋は近所にない。 よって、仕方なく家でトルコ「風」を作ることになる。

 

とりたててトルコ料理のレシピを検索したりする必要はない。

 

例えば、玉ねぎと豚肉を炒めたものが大量に残っていたとする。 私はまずこれにトマトペーストないしはケチャップを加えることでマンネリを解消している。 カップルにおいて「場所を変える」ようなものだ。 赤ワインのお供に大変よろしい。

 

それでも余る。 そうしてその余ったものにもろもろのスパイスを加えてみると、随分なカレー風味になる。ビールのお供に大変よろしい。

 

そうしてカレー風味になるとまた、きのこなど、具材を足したくなってくる。具材を足すことで、これがまた余る運命となる。

 

こうして余った、スパイスたっぷり、カレー風味の何がしかの炒め物に極めつけとして加えられる最後の一手がヨーグルトなのである。 これはトルコ「風」よろしく、お供はウォッカでよろしい。

 

例えばロシア料理には大抵サワークリームが添えられているのだが、これはヨーグルトでも代用できないこともない。 ボルシチならずとも、ビーフシチュー、カレー、ハヤシライスにヨーグルトを最後にひとかけしても、味が面白くなる。

 

濃くなりすぎたディップに加えてのばしても良い。

肉のソースにしても良い。

サラダのドレッシングにしても良い。

案外味噌などと合わせてもいける。

 

肉や玉ねぎで作った水餃子(ペリメニ)のソースとしてヨーグルトソースをかけていただくのは幸せ以外の何者でもない。 私はこれを初めて食べた時、食べながらこの食事が終わってしまうことを心から悔やんだ。

頰が緩んで口から餃子が出るかと思った。 それくらいうまかった。

 

これを読んだ紳士・淑女は是非とも食卓にヨーグルトを加えることを恐れないで欲しい。 あんなに安価で手軽で、かといって余計な添加物が入っている訳でもないのに、かのような深い味をもたらす食材は他に類を見ないのだから。

そば粉のガレット

レシピに、マジョラム、八角、 サワークリーム……といった名前を見かけるとみるみる創作意欲がしぼんでいくのと同様に、そば粉もそうした現象を引き起こさせる食材の一つではないだろうか。

まず、そばを作る以外にそば粉を使うシーンなど、「そばがき」くらいしか思い浮かばない。
そのそばがきでさえも、最近は食卓に上っているところをとんと見ないし、あえて作ろうとしない限り、なかなか手が出せない料理なのではないだろうか。
(とは言え、個人的にはそばがき汁粉が何にも代え難い美味しさをはらんでいると思う。)

そうしたことを鑑みた上で、それでもやはり私が今日紹介したいと思っているのが、そば粉のガレットだ。ガレットとは、そば粉の入ったクレープ生地の上に、チーズやハム、マッシュルームなどの好きな具材を乗せたフランスの郷土料理(?)である。

私の友人の一人に、笹塚に住むフランス人のクリエイターがいる。
フランス人の関心ごとといえば、バカンス・本・食事ばかりだ。もちろんこれは偏見だ。
それでも、彼らが今上げたものについて日本人の大多数よりも関心の強い人が多いということは事実ではなかろうか。

まあそんなことは統計でも取らない限りわからないことだし、ましてや統計を取ったところでどうなるということでもない。何にせよ、私は食事がすきなフランス人に、料理をするかどうかを聞いてみたのだ。

「フランスで一人暮らしをしていた時は結構していたかな。物価が高いからね。何を作っていたかな。ガレットと、ハンバーガーと……サンドイッチとかかな」

そこで私はハンバーガーとサンドイッチを料理と呼ぶということに日本とフランスの文化の隔たりを大きく感じた訳だが(もちろんどちらも料理に違いはないのだが、料理の代表として挙げられるとなかなかどうして新鮮に感じるのが日本人ではないだろうか?)、そうか、フランス人男性が一人暮らしをした時に作る代表料理はガレットなのか、という学びを得た。少なくとも彼に関しては。

日本でいうとガレットは何にあたるだろう?
カレーライスや豚キムチ丼だろうか。ガレットという主食?の上におかずを乗せている体裁を取っていることを考えると、「◯◯丼」全てが当てはまると言えるかもしれない。

作り方は簡単。まず、メインのそば粉とハム、チーズ、卵を用意する。好みで、トマトやきのこを入れても良い。
手の平ひとつかみほどのそば粉に塩をふたつまみを振り入れ、水で溶く。クレープの生地くらいさらさらになればちょうど良いだろう。
弱火で油を薄くひいたフライパンに生地を流し入れ、薄く、大きく大きく、広げる。この時大事なのは火加減などではない。テフロン加工が落ちていないフライパンを使うことだ。テフロンでないフライパンを使うなら、油を引いて、熱々にしたフライパンを使えば良いのだが、初心者には慣れるまで扱いが難しい。

そこで初心者にはとにかくテフロン加工のフライパンを使ってもらいたいところなのだが、このテフロン、経年とともに剥がれてしまう。人間なら経年とともに良い部分も増えるというものだが、テフロンフライパンにおいてはそれは言えない。
経年劣化したフライパンでガレットを作ろうものなら、出来上がったものはガレットと似ても似つかないものになること請け合いである。(それも人生だ)(私は一体何を言っているんだ)

閑話休題。酒の肴ではなく食事を作りたい人はとにかくテフロンフライパンを使ってもらうこととして、生地が固まり始めたら裏返す。そこに卵、チーズ、ハムなどの食材を乗せ、蓋をして弱火で焼き、卵が好みの硬さになれば蓋を取り、ガレットをフライパンから皿にスライドさせる。

外側を4辺折り混み、四角い形に成形するのが特徴的な盛り付けらしい。
フランス人の彼に言わせれば、食べ方は個人の好きなように!とのことなので、盛り付けも個人の裁量に依るものとしたい。

たったこれだけ。なぜガレットがこんなに簡単なのかというと、ひとえに生で食えるものを事前に加熱(加工)することなく乗せられるからだろうと個人的には考えている。
生で食べれないきのこ類や、豚肉を使う場合は最初に炒めておいて、生地に乗せるのが良いだろう。

最初にも述べたように、そば粉は日本人にとってそばに使う以外に馴染みのないものであることは百も承知だ。それでも私がガレットを勧めるのは、ひとえに私がそば粉を愛しているからである。

そば粉は小麦粉などと同じように、とりあえずストックしておけるものだし、イオンなどにも案外こじんまりと売っている。小麦粉で作るより味に奥行きがあるし、何よりおしゃれで料理が楽しくなる。(インスタ映えもするかもしれない)

料理好きのみなさんだけでなく、料理がめんどくさいズボラ諸君にも楽な料理だと太鼓判を押しておすすめしたい料理だ。

 

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お家で作るとうまく広げられない傾向にある

 

ピーナッツバターのソース

ピーナッツバターほど万能なものはない。

と言うと、醤油にも味噌にも豆腐にも豆乳にもなる偉大な「大豆様」によってこの理論はいとも簡単にに崩される訳だが(豆腐に醤油をかけるなど言ってしまえば大豆の上に大豆が乗っているようなものだ)、ピーナッツバターもなかなかに見どころ−−いや、使いどころのあるやつである。

 

このように私がピーナッツバターに対して贔屓目であるのは、ただ今私がチキンのピーナッツバターソースをアテに舌鼓を打ち、チリ産の安い赤ワインで溜飲を下げるているからという理由だけではない。

 

たとえ話をしよう。

 

ごまはどうだろう。 練りごまだ。 練りごまをタネにして、一晩煮出したチキンスープで伸ばしたスープは圧巻である。 また、この練りゴマは市販のだし汁(我が家ではにんべんを使っている)などと薄めても、コクがあり香り高い肉やカルパッチョのソースになる。 いわんや野菜をや。

 

これがピーナッツバターであったらどうだろうか。

 

練りごまで作るさまざまのものは、大抵ピーナッツバターでも応用が効く。 お気づきの方もいるかもしれないが、東南アジア料理などではふんだんにピーナッツが使われている。 そんな訳で、我々も彼らに習い、普段の食事にこのピーナッツバターを取り入れることで、このマンネリ化した食卓にも春とともに新しい風を取り込むことができる。

 

正直に胸の内を話すと、ピーナッツバターは練りごまと比べて需要が高く、安くつくのだ。

 

とは言え、スープで伸ばせばコクが出て、だし汁で伸ばせばソースになり、酢で伸ばせばドレッシングにもなる、このピーナッツバターを放っておくという行為は、一生のうちで知らずに損をする項目の上位10に食い込む。

 

とはとても言えないが、油は旨味だ。

 

レモンバターのソースでも申し上げたように、味を抽象化させ、具体性に落とし込む。 それだけでも、今、現時点で諸君が持ち合わせている様々のレシピで無限の広がりが生まれるはずなのだ。

 

話を元に戻そう。

 

さて、ピーナッツバターのソースはその合わせるものによってかなりの組み合わせを試すことができる。

注意するのは、できるだけ混ぜ物の少ないピーナッツバターを使う。 それくらいだ。ピーナツバターのつぶつぶが入っていようがいなかろうが味に大差はない。 ただ一つ、トースト用に特化したピーナッツバターソフトスプレッドだけは避けていただきたい。

などと言いながら、当の本人は前の住人が置いていったスキッピーのピーナッツバターを使っているのだけど。

 

さてこのピーナッツバター。
スープなら、鶏ガラとナンプラーで合わせて、時にはココナツミルクを加えても面白い。

 

穀物酢と和風だしで伸ばせば和風カルパッチョに、白ワインビネガーで伸ばしてレッドペッパー(当然そんなものは家にない訳だが)を散らせば洋風のカルパッチョに良い塩梅だ。

 

サラダには、適当に家にある酢で伸ばせば事足りる。 あまり固いようなら、電子レンジで温めて混ぜ合わせると良い。

 

私が今日持て余しているチキンのピーナッツバターソースに関しては、酔っ払っているので何を入れたかが不確かなこと極まるのだが、まあ、美味しそうだと思うように材料を入れれば良いのだ。

 

チキンを煮るなり焼くなり蒸すなりチンするなりして火を通し、割いて保存しておけば後はその日の気分でソースを作って和えるだけ。

 

目には目を。 歯には歯を。 前菜には酢を。 メインにはコクを。 それぞれのバランスを考えて加えれば良い。

 

休みが開け、また労働の日々が始まった。 働かねば酒は旨くない。 というのは詭弁かもしれないが、今日もうまい酒を飲める幸せとピーナッツバターに感謝するのである。

ライスコロッケ

私たち人類は約四百万年もの間、狩猟を行って空腹と戦ってきたのであり、定住し、農耕が始まったのは今からたった一万年前のこと。 元来私たちの身体は脂質を燃焼するのに適してはいても、糖質を燃焼するのには適していない、云々。

 

 

近年の糖質制限ブームには目覚ましいものがある。

飛ぶ鳥を落とし、生き馬の目を抜く勢いだ。 猫も杓子も糖質制限。 砂糖、炭水化物は悪の根源! 全て駆逐されるに値するとでも言わんばかりだ。

 

とは言っても、巷のコンビニエンスストアからはパンもおにぎりもサンドイッチも、ブリトーもスナック菓子も消えてはいない。 マクドナルドは相変わらず幅を効かせているし、街のパン屋からは相変わらずいい匂いが漂っている。 むしろ、あの芳しい香りは平和の象徴とでも形容できるほど幸せに満ち溢れている。

 

そもそも私は生まれてたったの26年と少しなのに、農耕が始まってから今までの約1万年間を否定して良いものだろうかという話である。 その1万年間で人類は糖質燃焼向けの身体に進化してはいないのだろうか。

 

兎にも角にも、炭水化物は美味しいのである。 それに、炭水化物抜きの生活など、金がかかる。 健康的な食事にかかる費用はエンゲル係数の高さとほぼ比例しており、我々庶民は懐と相談しながら、できる範囲内で健康的(と言われている)活動にいそしむより他ないのだ。

 

今回はこの糖質制限健康思考の真逆を地で行くようなレシピを紹介する。 くれぐれも糖質制限中の者は以降を読まぬように。

 

ライスコロッケはその名の通り、ライスのコロッケである。 ジャガイモの代わりにライスを使う。 それだけだ。 このライスコロッケの何よりも良いところは、余り物でできてしまうところと、人に作ると想像以上に喜ばれるところだ。

 

最低限必要なのは、ライス、ケチャップ、小麦粉、卵、パン粉くらいのものである。 私はこれに、野菜室の余り野菜やクリームチーズを追加する。

 

ライスと炒め合わせる野菜はみじん切りにしておく。
フライパンにニンニクみじんとオリーブオイルを放り込み、いい香りがしてきたら具材やライスを炒める。 ひき肉など、脂の多い肉などを加える場合はその脂で炒めると良い。

 

ケチャップで味をつけ、味を見ながら塩胡椒で整えよう。 この時の味見は義務感からではなく、美味しそうだと思ってつまむこと。 この時点で美味しくないものが、コロッケにすることで美味しくなる訳が、ない。 是非とも美味しいケチャップライスを作ろう、という気概で臨んで欲しい。

 

出来上がったケチャップライスは、手で触れられるくらいになるまで冷ます。 もう一度念入りに手も洗っておこう。

 

ケチャップライスを丸く形成するのだが、この時私はクリームチーズを中に埋め込む。 クリームチーズでなくても、ブリーでもゴルゴンでもピザ用チーズでも何でも良い。 何ならチーズでなくても構わないが、チーズが全面的にウケが良い。 なぜかと言うと、酒のつまみにより適した味になるからだ。

 

全て形成し終えたら、小麦粉、卵、パン粉の順にまとわせて、油で揚げる。

中まで火を通す必要はないので、外側が綺麗なきつね色になったら取り出す。 熱々を一口。 チーズが床に垂れないように注意しよう。 上顎の火傷はビールで冷やせば良い。 冷えた赤ワインでも構わない。

 

熱々の一番美味しい頃合いは調理者がありがたくいただき、冷めないうちに誰かとシェアして食べる。 ケチャップをカレー粉にしても良いかもしれない。 外に持っていくなら、冷めても味が悪くならない具材を選ぶこと。

 

海辺でビール片手にかじるライスコロッケはまた格別なものである。
外で飲むのが美味しい季節になってきた。 ビアガーデンなど、外で飲める施設は山ほどあるが、たまには自分で作ったものを外に持ち出して食べるなどすると、大変気分が良い。